We love Australia

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■古くて新しい国オーストラリア

◆先住民族アボリジニ
オーストラリア大陸に最初に住み着いたのは先住民・アボリジニ。約5、6万年前にアジア大陸から渡って来た。第4氷河期で海面が現在より200mほど低かったことが、この渡航を可能にしたのであろう。
しかし、2万年ほど前に解氷期が始まると海面が上昇して、アジア大陸とオーストラリア大陸の連絡が困難となり、アボリジニの祖先達は、他の大陸から完全に孤立する。
後に始まる農耕文化もオーストラリアには届かず、その恩恵を受けることもなかった。
彼らはこの巨大な大地に散らばり、氷河期や乾燥化などの自然の緩慢な変化を体験しながら、オーストラリア大陸の自然に適応してきた。約200年前のイギリス人入植当時、約30万人のアボリジニが伝統的な生活を送っていた。
《アボリジニについては、別のページでその歴史や文化を紹介しています。》

◆破られる静かな眠り
しかし、アボリジニの静かな生活は、外部世界の航海術の発展によって次第に破られていくことになる。先ず、パプア系住民アイランダースが北部のケープ・ヨークを訪れ、アボリジニの対外交易が始まる。その後現在のダーウィン近郊のアーネムランドでは、インドネシア人との交易も始まり、中国人も近海に現れるようになる。
ヨーロッパ人によるオーストラリア発見は、16、17世紀のポルトガル、スペイン、オランダによるアジア貿易拡大の副産物だった。
1520年代、ポルトガル人メンドーサが大陸東部を探検。
1606年にはオランダの帆船がケープヨークに上陸している。東方貿易の拠点「オランダ東インド会社」をパタビアに持っていたオランダは、1616年から22年にかけて大陸西海岸を調査する。これによって、新しい陸地の存在がヨーロッパに知られ、「ノーバ・ホルランディア(新オランダ)」と呼ばれるようになる。さらに1642年にはタスマンが現在のタスマニアを発見する。
しかし、オランダもオーストラリアには香辛料や金がないと判断して、余り興味を示すことはなかった。

◆イギリスによる領有
イギリス海軍のエンディバー号艦長ジェームズ・クック大佐が、ヨーロッパ人として最初にオーストラリア大陸の東海岸を望見したのは、1770年4月20日。その9日後、クック大佐は現在のシドニー近くの湾岸に上陸し、ここで採集した植物 botany にちなんで、この湾をボタニー・ベイと名付ける。その後、東海岸を北上して、トレス海峡のトゥイネード島に上陸、オーストラリア東岸部のイギリス領有宣言を行った。
独立戦争でアメリカの植民地を失い、北米に代わる新しい流刑植民地を求めていたイギリス政府は、1785年、クックが領有を宣言した地域を「ニュー・サウス・ウェールズ植民地」と名付け、植民開始を決定する。
後にニュー・サウス・ウェールズ植民地の初代総督になったアーサー・フィリップ艦長に率いられた11隻の船団が、736人の囚人を含む1350人を乗せて、1788年1月18日にボタニー湾に到着。その8日後の1月26日、さらに数キロ北上して、土地が肥沃で真水の得られるポート・ジャクソンに入植地を設定した。ここが現在のシドニーである。現在この1月26日を記念して、オーストラリア・デーが祝われている。

《ヨーロッパ人によるオーストラリア発見の歴史については、「中年夫婦の35日間オーストラリア旅行記」のこぼれ話シリーズで詳しく紹介しています。》

◆植民地の拡大とゴールド・ラッシュ
オーストラリア開拓が本格化したのは1800年代になってからで、1803年にタスマニア島の領有を宣言。1820年代には、NSWは北はモートン・ベイから南はマレー川近くまで広がった。
1826年には西オーストラリアへの入植も始まり、3年後正式に植民地として領有を宣言した。1836年、流刑植民地ではない純粋な移住植民地として、マレー川河口に南オーストラリア植民地が誕生する。
1850年代のはじめ、NSWのバサーストでの砂金の発見をきっかけにゴールド・ラッシュが起きる。金に魅せられた多くの移民が殺到し、40万人余りだった人口は、僅か10年で115万までに膨れ上がった。

◆オーストラリア連邦の誕生
coat_of_arms19世紀後半には、各植民地の人口が増加し経済が発展する中、植民地の自治を求める声が強くなってきた。1891年、オーストラリアの6植民地代表にニュージーランド代表を加えて「オーストラレイジア国民協議会」が開催され、各植民地の一般投票で連邦化を決定するという決議が採択された。
しかし、NSW議会がこの決議を認めなかったため、一旦連邦化への道は閉ざされる。その後10年にわたる曲折を経た後、1901年1月1日、オーストラリア憲法が発布され、ニュージーランドを除く六つの植民地を州とした連邦国家、オーストラリア連邦が誕生したのである。
★従って、2001年1月1日が連邦成立100周年記念日に当たり、2000年10月〜2001年12月の間、オーストラリア各地で130を越えるさまざまな公式イベントが開催された。その時の詳しい内容は下記URLを参照していただきたい。
http://pandora.nla.gov.au/tep/10492
【写真上:オーストラリア連邦紋章】

◆欧米重視からアジア重視へ
連邦発足後、オーストラリアは独立国家として発展の道を歩む。歴史的につながりの深かったイギリス、その他のヨーロッパ諸国やアメリカとの関係が、オーストラリアの歴史や現在の政策で重要な要素になってきた。
1988年に入植200周年を迎えたが、最近ではアジア重視の政策を掲げ、日本を含むアジア・太平洋諸国との関係を深めつつある。

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