旧日本軍の特殊潜航艇、シドニー沖で発見?
オーストラリアの民間テレビ局チャンネル9は26日、シドニー沖の海底で発見された旧日本海軍の特殊潜航艇(当時の日本軍での呼称「甲標的」)とみられる船体の映像を放映した。
オーストラリア海軍の専門家は、船体の形状などから第2次世界大戦中の42年5月にシドニー港を奇襲した2人乗りの特殊潜航艇との見方を示し、ネルソン国防相も「日豪の戦争の歴史の一部として重要な発見だ」と述べた。

特殊潜航艇を調べるダイバー(AP)
1942年5月31日深夜、シドニー沖に停泊した潜水艦から発進した特殊潜航艇3隻のうち1隻が港内に進入して、アメリカの重巡洋艦シカゴに魚雷を2発発射したが逸れ、うち1発がオーストラリア軍の宿泊用艦船クッタバルの近くで爆発、同艦は沈没し豪州兵約20名が死亡した。攻撃の後、この潜航艇は母艦に帰還せず、行方不明になっていた。
あとの2隻は湾の奥まで侵入することができず、乗組員2人が自殺するなどした。2隻の残骸は後に引き揚げられ、キャンベラのオーストラリア戦争記念館に展示されている。
このシドニー港攻撃は、同年のダーウィン空爆と並んで、第2次世界大戦中の日本によるオーストラリア攻撃の一つとして、オーストラリア国内の関心は高い。





mima said,
November 30, 2006 @ 8:53 am
26日に発見が報じられた旧日本軍の特殊潜航艇には、伴勝久中尉(当時)と芦辺守一曹の二人が乗り組んでおり、艇の中には二人の遺体があるものと思われる。
27日の ‘Courier Mail’ によると、在東京オーストラリア大使館の館員から発見の可能性の報を受けた伴勝久中尉の弟、Kazutomo 氏(名古屋近郊在住)は、日本軍の100万人を超える兵士たちが戦後60年を経てもなおジャングルや海底に眠ったままになっていることを指摘し、「兄や芦辺一曹もこのまま静かに眠って欲しい」と語った。