ダーウィン空襲
第2次世界大戦中に日本軍が行ったオーストラリア北部のダーウィンへの空襲の際、撃墜されて死亡し無名戦士として埋葬されていた旧日本軍爆撃機の乗員18人の名前がオーストラリア政府により公式に確認され、5月26日、東部カウラの日本人戦没者墓地で遺族らが出席して、18人の名前が刻まれた銘板の除幕式が行われた。
キャンベラ在住の歴史家、ロバート・パイパーさんらが日本軍の出撃記録やオーストラリア側の撃墜記録を照合して突き止め、オーストラリア政府の最終確認を得たものである。
「ダーウィン空襲」については、2000年の旅のホームページ「こぼれ話第11話」で詳しく書いたが、1942年2月19日の第1回目以降1943年11月12日まで計64回の空襲が日本軍によって行なわれ、300名近い人命が失われた。
ダーウィンのほかにも、ブルーム、タウンズビルへの空襲、シドニーやニューカッスルへの爆撃など、オーストラリア人にとっては、入植以来初めて自国本土を攻撃されたわけで、その後の日豪関係に大きな汚点を残すこととなった。
歴史の教科書や旅のガイドブックにも第2次世界大戦中の日豪関係のことは詳しく書かれていないため、何も知らずにダーウィンやブルームを訪れる人も多いと聞く。
今年は「日豪交流30周年」とされているが、日本とオーストラリアの間にはもっと長い付き合いの歴史が存在する。これからオーストラリアを訪れようと考えている人は、これらの史実を頭の片隅にでも留めておいていただきたいと思う。
日本の教科書での歴史認識がいろいろと議論されているが、それは決して中国、朝鮮半島、東南アジアに限定されるものではないのである。




