Archive for May, 2006

Anzac Day

1ヶ月前に書いておくべきことだったが、オーストラリアの歴史についてもう一つ触れておきたいこと。 

オーストラリアを歩いていると、あちこちで「アンザック」 ”ANZAC” という言葉に出会う。
Anzac Memorial、Anzac Park、Anzac Hill、そして Anzac Day などなど。

ANZAC (Australia and New Zealand Army Corps) 。それは第一次世界大戦時に結成されたオーストラリア・ニュージーランド連合軍のことを指す。
ANZAC 軍は大英帝国軍の一員として参戦し、1914年4月25日にトルコのガリポリ Gallipoli 半島に上陸を敢行した。この作戦は結果的に失敗に終わり、大変大きな犠牲を払うことになったが、独立間もないオーストラリア連邦が初めて国際社会に登場するきっかけとなり、後にアンザック入江 Anzac cove と呼ばれるようになった上陸地点は、オーストラリアの ‘national identity’ が形成された場として、歴史に刻まれることとなった。

オーストラリアでは、4月25日をアンザック・デー Anzac Day として祝日にしており、この日には、第一次世界大戦だけでなく、これまでのすべての戦争における戦死者の霊が弔われ、世界平和への祈りが捧げられる。
また、毎年オーストラリアとニュージーランドの多くの人々が現地を訪れ、トルコ政府の協力の下で慰霊祭が執り行われる。

Anzac Day Services Gallipoli
2004年のガリポリ慰霊祭に集まった人々
 

あまり知られていないが、1902年に締結された日英同盟に基づき、イギリス政府の要請を受けた日本の艦隊がアンザック軍団護送の護衛に当たったという史実がある。アンザック軍の補充は休戦の日まで続けられ、日本艦隊も最後までオーストラリア・スエズ間の護衛に従事した

ガリポリ作戦の詳細については、2000年の旅の「こぼれ話第10話」を参照いただきたい。

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ダーウィン空襲

第2次世界大戦中に日本軍が行ったオーストラリア北部のダーウィンへの空襲の際、撃墜されて死亡し無名戦士として埋葬されていた旧日本軍爆撃機の乗員18人の名前がオーストラリア政府により公式に確認され、5月26日、東部カウラの日本人戦没者墓地で遺族らが出席して、18人の名前が刻まれた銘板の除幕式が行われた。
キャンベラ在住の歴史家、ロバート・パイパーさんらが日本軍の出撃記録やオーストラリア側の撃墜記録を照合して突き止め、オーストラリア政府の最終確認を得たものである。

「ダーウィン空襲」については、2000年の旅のホームページ「こぼれ話第11話」で詳しく書いたが、1942年2月19日の第1回目以降1943年11月12日まで計64回の空襲が日本軍によって行なわれ、300名近い人命が失われた。
ダーウィンのほかにも、ブルーム、タウンズビルへの空襲、シドニーやニューカッスルへの爆撃など、オーストラリア人にとっては、入植以来初めて自国本土を攻撃されたわけで、その後の日豪関係に大きな汚点を残すこととなった。

歴史の教科書や旅のガイドブックにも第2次世界大戦中の日豪関係のことは詳しく書かれていないため、何も知らずにダーウィンやブルームを訪れる人も多いと聞く。
今年は「日豪交流30周年」とされているが、日本とオーストラリアの間にはもっと長い付き合いの歴史が存在する。これからオーストラリアを訪れようと考えている人は、これらの史実を頭の片隅にでも留めておいていただきたいと思う。
日本の教科書での歴史認識がいろいろと議論されているが、それは決して中国、朝鮮半島、東南アジアに限定されるものではないのである。

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Socceroos

socceroosいよいよワールドカップが目前に迫ってきた。
そのグループ・リーグで、日本は初戦を6月12日オーストラリアと戦うことになっている。
がんばれニッポン! がんばれオーストラリア! どちらにも勝ってほしいし、大変複雑な気持ちだ。

まあ、この対決のことは、もう少し経ってからいずれまた触れる機会もあると思うが、今日はオーストラリアとサッカーの話を少々。

オーストラリアでフットボールといえば、ご存知のように “Aussie Rules” の方が圧倒的に有名。サッカーは、どちらかといえば、最近移住してきたアジア系の人たちのやるマイナーなスポーツという評価が強く、延べ2ヶ月間の旅の間にも、Aussie がサッカー・ボールを蹴っているのを見る機会は一度もなかったし、テレビでの試合の放映も見たことはなかった。「エッ?オーストラリアでもサッカーやってたの?」というのが正直な心境である。

しかし聞くところによると、最近ではサッカー人気も徐々に上昇中で、プロ・リーグ(Aリーグ)も発足し、テレビでの試合中継も始まったそうだ。今回のナショナル・チーム “Socceroos” の構成メンバーは、大半がイングランドのリーグで活躍中の選手で占められていて、その実力は決して侮れない。
オーストラリアは、昨年、オセアニア・サッカー連盟からアジア・サッカー連盟に移ったため、今後、アジア・カップなど日本との対戦の機会も多くなってくるだろう。

5月18日、オーストラリア・フットボール協会チーフ・エグゼクティブのジョン・オニール氏は、2011年のアジアカップの開催地に立候補する意思を表明した。氏によれば、アジアカップを誘致しこれを成功させることによって、以前から望んでいる2018または2022年のワールドカップ誘致への足がかりにしたいとのことである。

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Aussie Slang “Bloody”

Tourism Australia says in its TV commercial,
“So where the bloody hell are you? で、なんでオーストラリアに来ないの?”

‘Bloody’ is a famous slang popularly known as the “great Australian adjective”. It’s can be used to express approval or disapproval. ‘It’s a bloody beautiful day’ or It’s a bloody awful day’—whichever bloody way you look at it, it’s a bloody useful word!

Simply the best bloody word in the bloody world to describe every bloody thing from a bloody good time to a bloody awful time to a bloody good bloke to a bloody mongrel. Got the bloody idea…that’s bloody good then! (Quite acceptable profanity in any bloody company really—even with the bloody Archbishop!)

                                                             ———–John Blackman’s “Aussie Slang”

このように、”bloody” は大変便利な言葉で、若い人がよく使う「ひどい、ひどく、ひでぇ!」などのように、良くも悪くも、後ろに続く言葉を強調するときに使われているようだ。もっと判りやすく言えば、「超!」みたいなものと考えてもいいだろう。
“hell” だって、直訳すれば「地獄」になってしまうのだが、Aussie Slang では ‘extremely good; excellent’ という、全く逆の意味に使われることさえある。

さてそれでは “bloody hell” となった場合、なんと訳せばいいのか? いろいろとネット上で追いかけてみると、「イギリスのスラングで ‘an exclamation of surprise or frustration’」という辞書が見つかった。
そう、多分これが正解なのだろう。
従って、 “So where the bloody hell are you?” を日本語の文章にしてしまうと、「で、あなたどこにいるの?!」ということになって、”bloody hell” は”?!”の記号に化けてしまう。
英語力には全く自信はないが、以上が私なりの解釈である。

このCM、ネットでも見られます。http://www.wherethebloodyhellareyou.com/

このCMについては、”All About” で平野美紀さんが同じような解説をされている。
ぜひ一度ご覧になっていただきたい。

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WordPress

わがブログも、ようやく外観的な体裁を整えた。

このブログは、Yahoo_US の Web Hosting が提供するサービスで、’WordPress’ というフリーのソフトウェアの上で動いている。
外観はフリーで提供されているいくつかのテーマの中から選択することができ、多少のカスタマイズが可能である。プラグインを組み込んだり、サイド・バーをカスタマイズすることによって、いろいろな機能を付け加えていくのだが、プログラムは全て PHP で書かれているので、多少は PHP のプログラミングの知識が必要になる。
プログラムといえば、20年近く前の BASIC の知識しか持ち合わせていないので、PHP についてはちんぷんかんぷん。サポート・フォーラムを覗き、掲載されている記事の中から、これと思うものをコピー・アンド・ペーストで試す。
しかし、書かれているのが全て英語で、辞書を片手の挑戦である。たまには、今までの記事もコメントも全く表示されなくなってしまい、冷や汗をかいたこともあった。

そんな試行錯誤を繰り返しながら一応辿り着いたのが今の姿である。
今後も改良を続けていくつもりだが、取り敢えずこんなところで出発点としたい。

この ‘WordPress’ の日本語化を進めているグループがあって、すでにいくつかのバージョンが提供されている。プラグインの利用方法などについては、そちらのフォーラムも参考にさせていただいた。

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日豪交流年・記念貨幣

ついでに記念貨幣の話。こちらは、5月23日まで予約受付中。

YOE_coinsこの貨幣セットは、特殊な技術を用いて製造した貨幣で、表面に光沢を持たせ、模様を鮮明に浮き出させた平成18年銘の500円、100円、50円、10円、5円、1円のプルーフ貨幣6枚とパース造幣局製のオーストラリア記念銀貨幣1枚を、日豪両国の風景や自然をデザインに取り入れたプラスチックケースに組み込み、特製革ケース及び外装紙ケースに収納したもの。
パース造幣局製のオーストラリア記念銀貨幣は、額面が1オーストラリアドルで表面にはエリザベス二世女王陛下の肖像、裏面には交流年ロゴマークとカンガルーがデザインされている。
(※写真は、オーストラリア大使館・日豪交流年のサイトから)

販売価格は1セット13,500円(消費税・送料込)、販売予定数は50,000セットで、はがきによる申し込みが必要とのこと。
詳細は、独立行政法人造幣局のホームページをご覧いただきたい。

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日豪交流年・記念切手

YOE_stamps_Sydneyいつもオーストラリアの情報を送っていただいている ‘KANGAROO POST’ の大槻さんから、今日最新号が届いた。
それによると、5月23日に「日豪交流年」の記念切手が発売になるそうだ。
記念切手のシートの構成は、80円10枚。発行数は100万シートで、初日には全国の中央郵便局と主要局で、求めに応じて初日印を押してもらえるとのこと。
シートの全容は、上の写真をクリックしていただきたい。
(写真は、日本郵政公社のホームページからお借りした。)

大槻さんも、大の「オーストラリア・ファン」。「オーストラリア大好き人間のミニコミ雑談誌 “KANGAROO POST”」を発行されていて、切手収集家でもあるそうだ。
オーストラリアにすっかりご無沙汰している私にとっては、氏から送っていただく最近の話題が大変楽しみだ。
今回の22号には、昨年10月の「シドニー~メルボルンぶらぶら日記(シドニー編)」が掲載されている。

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2000年産の梅酒

我が家の猫の額ほどの小さな庭に、梅の木があり、今年も結構な数の実をつけている。
そもそも、この梅の木は、30年ほど前に正月用の松竹梅の鉢植えを庭に下ろしたものなのだが、手入れをしないままに大きな木に育ち、ほとんど毎年梅の実を収穫して梅酒を造っている。

2000年の5月の末に、オーストラリアの旅に出発したが、旅の準備に追われて梅の実のことをすっかり忘れていた。
直前になってそれに気づき、慌ててまだ若すぎる梅の実を落とし、焼酎と氷砂糖を買いに走って、いつものように梅酒を漬け込んだ。

その梅酒も今年で6年が経ち、そろそろ飲み頃を迎える。若くて小さめの実ばかりだったので、味の方は保証の限りではないが、これもオーストラリアの旅の思い出の一つであり、飲むのが楽しみである。

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タスマニアの鉱夫救出!

Tasmanian Minersタスマニアの金鉱で9日早朝、4月25日に発生した地震による落盤で地下約1000メートルの所に閉じ込められていた鉱夫2人が、14日ぶりに無事救出された。
Brant Webb (37)?と Todd Russell (34)は、報道陣や関係者が待ち構える中、しっかりした足取りで現れ、両手を上げて歓声に応えた。

崩落による2次災害の畏れがあるため救出作業は難航。救助隊は硬い岩盤を慎重に掘り進めてようやくたどりついた。この間、2人には、プラスチックのパイプを通じて水や食料が供給されていた。

オーストラリア労連の Bill Shorten は、
“This is the great escape. This is the biggest escape from the biggest prison we have, the planet,”
と、語っている。

ただ、もう一人の鉱夫 Larry Knight (44) は坑道の崩落により、ANZAC Day だった4月25日に死亡。同じ9日、葬儀がとり行われた。冥福を祈りたい。

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Photo Album

ブログの開設以来、日記の方は遅々として進まないが、ほんの少しずつサイトの体裁を整えつつある(そのつもり・・・)。

右側のサイドバーに ‘Photo Album’ という項目が増えた。まだ登録枚数は少ないが、試しにクリックしてみていただきたい。
但し、2000年と2001年の旅の写真なので、撮影日は古いものばかり。それぞれの旅のサイトでお見せしているものと同じものなので悪しからず。

折角 ‘My Domain’ を持っているので、ブログもそのサーバーの中で、そして、サーバーの提供する機能をできるだけ盛り込みたいと思っているが、何しろこのサーバー(Yahoo のアメリカ版)はサポートが英語だけなので苦労している。
気長に続けていこうと思っている。

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